SAPが仕掛けるGROW with SAPとは!

SAPは近年、クラウドERP戦略を強力に推進しており、その中心となるのがRISE with SAPとGROW with SAPです。
この二つのサービスは、RISEが既存のSAPシステムからの移行を主眼としたプライベートクラウド(新規導入ももちろんある)、GROWが新規導入を前提としたパブリッククラウド、と大別できます。現在SAPが特に注力しているのはGROWですが、導入実績ではまだRISEに及びません。その背景には、GROWがパブリッククラウドならではの革新的な特徴を持つ一方で、従来のSAP ERPとは大きく異なる点があります。
長年SAPに携わってきた技術者にとっては、まさに「カルチャーショック」とも言える変革です。例えば、これまで操作の起点であったトランザクションコードは無くなり、メニュー検索という形に変わり、データ参照に不可欠だったSE16N(テーブルブラウザ)も存在せず代わりにデータビューなる機能が提供されます。UIも刷新されており、一見すると全く別の製品のように感じるかもしれません。
本稿では、このGROW with SAP、すなわちSAP S/4HANA Cloud, public editionについて迫っていきたいと思います。
図1 Public Cloud edition製品のSAPの初期画面
【成功の鍵は「ベストプラクティス」の徹底活用】
Public Cloud Editionの最大の特徴は、カスタマイズの範囲が限定的であることです。これは、SAPが長年の知見を集約した「SAPベストプラクティス」の活用を強く推奨していることを意味します。
このベストプラクティスは、「SAP Process Navigator」というサイトで「スコープアイテム」として詳細に公開されています。各スコープアイテムにはID(図2の3文字の英数字)が割り振られ、業務プロセスフロー、必要な設定、マスタや伝票項目に至るまでが定義されています。
図2 Process Navigatorの画面
プロジェクトは「SAP Activateメソドロジー」に沿って進められます。最初の「Discover」フェーズで、この膨大なベストプラクティスの中から自社に必要なスコープアイテムを選択・評価し、プロジェクトの全体像と見積もりを固めます。
これは、従来の開発手法とは一線を画します。これまでは、まず顧客の現行業務(As-Is)をヒアリングし、SAPの標準機能とのFit & Gap分析を経てシステムを構築していました。しかしGROW with SAPでは、SAPが提示する完成形の業務フロー(ベストプラクティス)を標準とし、それに合わせて自社の業務を改革・標準化していくアプローチを取ります。この「Fit-to-Standard」という考え方自体は以前からありましたが、Activateというメソトロジーが加わったことで、初めて実践可能なレベルになった点が大きな革新と言えるでしょう。
図3 スコープアイテム一覧
【Discovery Workshop】
Public Cloud Editionの導入プロジェクトにおいて、最初のステップである「Discovery Workshop」(DWS)は極めて重要です。
このワークショップの目的は、導入を検討する企業が利用したいビジネスシナリオ、必要な拡張機能、連携する外部システムなどを具体的に洗い出し、採用するスコープアイテムを絞り込むことです。ここでの議論の質が、プロジェクトの成功確率と見積もりの精度を大きく左右します。
このDiscoverフェーズが完了すると、プロジェクトはPrepare(準備)、Explore(要件定義)、Realize(実現化)、Deploy(本稼働準備)、Run(稼働・運用)というフェーズへと進んでいきます。
【GROW with SAPは中堅企業にとって有効か?】
ここで、実際にこの製品に触れて感じたメリットと、導入検討時の注意点を解説します。
メリット
- 導入コストと期間の削減
ベストプラクティスという明確な指針があるため、要件定義や開発に費やす時間とコストを大幅に削減できます。プロジェクトはシステム構築そのものよりも、ベストプラクティスをいかに自社の業務改革に繋げるかというコンサルティング要素が強くなります。 - 最新技術の活用とUIの改善
Webベースの最新UI(SAP Fiori)について個人的な好き嫌いは分かれるものの、直感的であり、ユーザーの操作性は大きく向上しているとみても良いでしょう。これにより、ERPの思想が組織に浸透しやすくなります。 - 導入ハードルの低下
従来のSAP導入にあった「職人芸」的なスキルへの依存度が下がり、システム導入のハードルは格段に低くなりました。他のSaaS型ERPの導入経験があるベンダーであれば、比較的参入しやすい製品と言えるでしょう。
導入検討時の注意点
- 投資規模
ライセンス費用は一概に高い安いとは言えませんが、やはり一定の企業規模や投資体力がなければ導入は難しいのが実情です。 - ドキュメントの言語とアクセス性
多くの公式ドキュメントが英語中心であり、必要な情報にたどり着くまでに時間を要する場合があります。この点が改善されれば、導入の裾野はさらに広がると期待しています。
【クラウドERPが目指す本来の姿】
もはや、何年もかけて数十億円を投じるような大規模ERPプロジェクトの時代は終わりを告げようとしています。適正なコストと高い成功率で導入し、導入後のビジネス効果を最大化することこそが、現代のERPに求められる本質です。
その点で、GROW with SAPのアプローチは非常に理にかなっています。一部では「まだ普及しない」という声も聞かれますが、その特性を正しく理解すれば、特に中堅企業にとって大きな可能性を秘めた製品であると確信しています。
導入する側も、パラメータ設定や開発スキル以上に、業務を標準化へと導くナビゲーション能力が求められます。これこそが、真の意味での「コンサルティング」と言えるでしょう。
【最後に:As-Is(現状)分析は不要か?】
「ベストプラクティスを活用するなら、現状分析は必要ないのでは?」という疑問が浮かぶかもしれません。
答えは明確に「NO」です。
業務改革を進める上で、自分たちの現在地(As-Is)を正確に把握することなくして、目指すべき場所(To-Be)への道筋は描けません。そもそも、現状を知らなければ、数あるベストプラクティスから何を選ぶべきか、その判断基準さえ持てないでしょう。
Activateメソドロジーではこの点が明確に定義されていませんが、実際のプロジェクトでは必ずAs-Is分析の工程を組み込むべきです。
これまでベールに包まれている部分も多かったSAP S/4HANA Cloud, public editionですが、その可能性は計り知れません。これからERP導入を検討する企業にとって、間違いなく有力な選択肢の一つとなるはずです。
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